名古屋から京都・姫路城・赤穂までのサイクリングDAY2 1/2
こんにちは
前回からの続きです。
前回は定時退社即出発といった感じだったので行程の9割が夜間走行になってしまいました。
もちろんまともに景色を楽しめるわけもなく、ただただ真横を通過するトラックへの恐怖だけを感じて走っていました。
今回は朝7時半に彦根のホテルを出て念願だった太陽の下走ることができる。
第2日
2020.06.06
東横インはコロナウイルス対策ということで朝食バイキングをやっていなかった。ラップにくるまれたおにぎりやタッパーに入れられた数種類のおかずセットがあるだけであった。
なんとも悲しい朝食である。ビジネスホテルの朝食バイキングをここまで貶めるとは恐ろしいウイルスだ。
しかし悲しむことはない。近江八幡まで走ればクラブハリエの出来立てバームクーヘンを食べることができるのだ。
クラブハリエは9時開店。
現在時刻は8時15分
東横イン彦根駅東口から近江八幡のクラブハリエ日牟礼館までは25km
9時ちょうどにクラブハリエに行くにはこの上なく良いタイミングである。
途中、安土城の真横を通り過ぎたがバームクーヘンを優先するためそそくさと通過し、一路近江八幡市を目指す。
安土町の古い街並みを抜けると一面田んぼになった。田園地帯は一切の高低差がなく走りやすい。もともと内湖だったようだ。信長の時代はここも湖だったのだろう。そんなことどうでもいい。一刻も早くバームクーヘンを胃袋に放り込みたい。
安土町を出て近江八幡市に入る。すこし登って住宅街に入り、そのまま小台地を走る。方角的には琵琶湖に向かって走っているのだが、だんだん山が近づいてくる。ロープウェイが見える。
クラブハリエはその山の麓にあった。そして山のすぐ裏側に琵琶湖があった。
安土城もそうであるように琵琶湖東岸は湖に突き出る山がいくつかある。そしてこのクラブハリエ山も琵琶湖に突き出る山城であった。
クラブハリエ山の正式名称は近江八幡城。豊臣秀吉の甥である豊臣秀次の城だ。
豊臣秀次は豊臣家内の争いの中で秀吉と対立し自害している。だからクラブハリエも閉まっていた。
秀次の怨念によって、否、コロナウイルス対策のため営業時間を縮小していた。
こうなっては仕方ない午前中に京都府に入りたいのでゆっくりしていられない。
守山か草津ならファミリーレストランくらいあるだろう。
朝食を求めて琵琶湖に沿って南下することにした。
守山や草津の中でも栄えているのは琵琶湖から離れたJR東海道沿線や国道8号線沿いらしい。
何も得ることができないまま近江大橋を渡り滋賀県内最後の市町村である大津市に入った。
大津は全体的に東に傾いていて、西に向かう私にとってずっと登りだった。
滋賀・京都府県境で一気に登り山科盆地に入る。
和歌などでおなじみ逢坂の関とはこの辺りである。
「知るも知らぬも逢坂の関」でおなじみ蝉丸は高校時代一番人気だった。高校の百人一首大会で蝉丸が登場すると割れんばかりの歓声が上がっていた。
理由は「蝉丸」という響きの良さと、彼が禿だったこと。社会人になった今でもにやけてしまうのは私が今でもバカだからだろうか。
逢坂を越えると山科駅まで登りはない。山科盆地に入ったのだ。流れに沿って走っていると1号線バイパスに入ってしまうので気をつけよう。私は入ってしまったので泣きそうな顔をしながら必死でこいだ。
そして蹴上の手前から急激に下る。一気に駆け降りると京都盆地だ。
京都は大学時代に毎週のように来ていたので特に物珍しいところもない。懐かしい気持ちで市内を走り、伏見にあるオムライスの名店「あらき」でたらふく食べて前半戦を終える。
後半は伏見から明石となります。
ルートは単純で淀川サイクリングロードと国道2号線を走るだけ。クラブハリエの仇は神戸ビーフで討つとむかしから言われているように、後半の目標は神戸でステーキを食べることです。