名古屋から東京までサイクリング 第3日 小田原から所沢 東海道・境川CR・府中街道を走る88km
しつこい宗教勧誘に心を折られた昨日の仇を打つべく帰ってきました。
唯一晴れた昨日(藤枝から小田原)もっと進めば今頃実家でのんびりしていただろうに、些細な理由でリタイアしたがために、またこうして雨の中走っております。
今回はいよいよゴールです。
「名古屋から東京までサイクリング」とか言いながら多摩をサラッと通過して、本当の目的地は埼玉でした。
騙してごめんなさい
こんにちは たかしゃち です。
第3日
2020.05.18
今日は電車で所沢を発し、小田原においてきた自転車に乗って所沢へ向かい、所沢から電車と新幹線を乗り継いで名古屋へ戻るという行程だ。
地図で見ると所沢―小田原間を3回も行き来することになる。
今日のルートを文字に起こすとなかなか馬鹿らしいことに気づくが当時の私は何とも思っていなかった。
今回は大崩海岸を通り、さった峠を迂回して名古屋から東へ東へ進んできたため、今日の中盤に待ち受ける町田リス園手前から聖蹟桜ヶ丘までの丘陵地帯が箱根、日坂・小夜の中山、名電山中の辺りに次いで4番目の難所となる。
リス園の坂が難所なんて言っていたら世の中のロードバイク乗りに笑われるが、ここは笑ってもらうほかはない。
さて、新宿からロマンスカーに乗り車内で朝食をたっぷり食べて目覚めたら小田原駅である。
今回は9時前に自転車にまたがることができた。
国道1号をひた走る。サドルは既に雨に濡れているが、どうせ全身濡れるので構わず跨ってこぎだす。
1時間ほど走り平塚に入るころに止んでいた。
更に走って藤沢市内に入り白旗神社のフレッシュネスバーガーに入ったころには濡れていた服も完全に乾いていた。
こんな調子で大した事件もなく、高校時代に毎週のように走っていた境川サイクリングロードに入り、町田を目指して走り続ける。
大学を関西、社会人になって名古屋で過ごしているが、東京圏のサイクリングロードの充実さは群を抜いているように思う。
境川という小さな河川にまでそこそこのクオリティが保障されたサイクリングロードがあることにありがたみを感じながら走る。
ブルーライン、新幹線、相鉄線と順番に境川とクロスする高架をくぐっていく。
最後の東急線だけは高架ではなく迂回を強いられるが、今夜菊名までお世話になるので大目に見てやろう。
12時半に高校の同級生が看板娘に一目ぼれしたでお馴染みの町田商店本店で昼食をとる。(もちろん彼の恋はかなわなかった)(あんなに可愛いのだから釣り合わないよ)(ごめん言い過ぎた)
高校時代はMAXラーメンにご飯大盛りで腹八分目だったが、今やご飯は小盛でも胃からあふれ出てきてしまう。
町田商店から難所リス園坂までのんびり進んでも15分。ラーメンが胃で踊り狂う中登ることとなった。町田商店で胃が苦しくなることも含めての難所であるということだ。
とは言え、いくら貧弱な足でも箱根を越えてきた我が足である。そういえば箱根でもクレープのせいで胃が不調だった。
そんな足がリス園ごときで止まるわけもなく、リス園坂を越えて多摩丘陵を突破。
多摩川を渡り、高校時代からずっと工事をしていた府中のサクラダファミリアこと新府中街道(未だに全通していないので国分寺からは府中街道)を北上し、16時過ぎに我が故郷埼玉県に入る。
あとは高校時代の通学路である。当時8時10分に家を出て8時半には教室の席についていた。折角なので高校から自宅まで走ってみると30分はかかる。町田商店のMAXラーメンといい10年も経っていないのに衰えすぎだ。
こうして4日間に及ぶ長距離サイクリング(名古屋―埼玉感なんて中距離だろという意見は自粛願います。)は無事完走することができた。
あまりの疲労に自転車を置いて名古屋へ帰ってしまったためまた取りに戻らなければならない。また埼玉に行かなければ。
以上、なんの盛り上がりもない東海道サイクリングでした。
パンクや雨など盛下がりはありましたが、良いサイクリングでした。
名古屋から東京まで走ったということは次は名古屋から大阪を走って、晴れて東海道完走ということになりますね。
その前に所沢に置いてきた自転車を回収しないと進みません。近いうちにまた所沢を訪れることになりそうです。